自分を好きになるには?

よく、自分を愛しなさい、と言うけれど、私には、それができません。

 

子供の頃は、自分の事を好き?だったのかな?嫌いではなかったはず。

小学校低学年の頃、引越しして、学校も転校しました。

それまでは、明るく、目立ちたいタイプの子供でした。けれども、転校して環境が変わった途端に、性格が真逆になり、とても消極的になってしまいました。

今でいう、イジメにもあいました。

持ち物をクラスの子から、色々悪く言われたり、帰る時に外ぐつが片方無くなり、探し回って、玄関ドアの隙間に隠されていました。外は、もう薄暗くなっていました。

男子からも、言葉のイジメがあり、毎日泣かない日は、ありませんでした。

もちろん、かばってくれる女子もいました。

でも、あまり良い思い出は無く、昔で言うとネクラな子でした。

 

そして、中学生になり、ある日突然、性格が変わりました。

何か吹っ切れたように。悟りでも開いたのか?

 

とくに明るくなったわけではないのですが、開き直ったというか。

好きなマンガや、アニメを通じて、友達もできました。

 

ちょっと変わったタイプの人間になっていました。

 

そして、多くの子が通る、反抗期がやってきます。稀にない人もいるようですが。

私は、しっかりありまして、とにかく家で、荒れました。

部屋中の壁に、「死にたい」と、紙に書いて、びっしり貼りました。

好きだったアイドルのポスターをビリビリに、破りました。

中学二年頃です。

その様子を見て、母が心配して、私に言い聞かせようとしましたが、聞く耳はありません。

母を泣かせました。

そして、普段ほとんど怒らない父から、静かに、厳しく叱られました。かなり、私には、こたえました。

それで、私の反抗期は、終わりました。

 

後から思うと、バカな事をしたと思っています。でも、その時は、どうしようもなく腹が立ち、そうなってしまいました。他人に対してでなく、自分に対してのイライラでした。

とにかく、自分が嫌になって、消えたくなって、死ぬ方法を色々考えたりしました。

でも、痛いとか、苦しいとかが怖くて、できませんでした。

ちょっと、他人とは、違うなと、思いはじめていました。

 

自分は、女では無いのでは、と思いはじめました。

体つきも、喉には、喉仏がしっかり出ているし、体毛は、濃くて男みたい。恥ずかしくて、カミソリで剃っていました。でも、すぐに生えてくる。

やっぱり、半分は、男なのでは、と思うようになりました。

胸も、なかなか大きくならず、ずっとぺったんこ。周りの女子は、みんな大きいのに、自分は、とても小さい。

こんなことなら、男に生まれれば良かった、と思うようになりました。女の子らしい所が、無いんだもの。でも、もしかしたら、大人になったら、胸も大きくなるのかなぁ、と思っていました。

でも、20才過ぎても、25才過ぎても、大きくならない。

周りの、彼氏のいる女性達からは、彼に揉んでもらうと、大きくなるとよく言われました。

でも、彼すらできないのに、ムリです。

コンプレックスしかありませんでした。

夏は、汗かきで、脇汗が酷く、顔も汗でメイクは崩れるし、体毛が濃いので、腕も足も思いきり出せない。

いつも、人の目が気になる。

体育会系の部活をしていたせいで、筋肉が脂肪に変わり、足は太くなってしまいました。

何もしていなかったら、たぶん細かったはず。

とにかく、自分の好きな所が、見つからないのです。

親に似たのかといえば、そうでもなく、母は、しっかり胸は、大きかった。なのに私は、ペチャパイ。

やっぱり、半分男だと確信しました。

 

でも、心は、女の子だったのです。

男の人を好きになったし、好きになったアーティストも、男性グループで。だから、その好きになったアーティストがいて、かなり救われました。

心のよりどころになりました。

この歳になった今でも、大好きです。

 

ただ、今だに自分を好きになることは、できないのです。

どうしたらいいのだろう。

親の事も、反抗期には、大嫌いだったけど、今は、大切にしたいと思っているし、弟も、子供の頃は、憎らしかったけど、今は、親想いでとても頼りになります。

私の娘も、一番可愛く、大切な存在です。

 

しかし、自分は?

 

親として、とても自信のある所が、何ひとつありません。

家事がとにかく苦手。

手料理も、ろくに作ってあげてない。いつも、買ったお惣菜ばかり。

それだもの、夫も、愛想つかして浮気?するよね。

 

女として、もっと自信があれば、夫との仲も、続いたかもしれないけれど、体に自信が無かった為、見られるのが嫌だった。

結果的に、離婚しました。

 

今は、娘を幸せにしてあげる事だけを考えて、生きています。

自分は、後回しです。

 

自分を愛する?どうやって?

欠点だらけの、この私をどう愛すればいいのですか?

 

色々な方々の話しを聞くと、まず、自分を大切に、とか、いたわってあげて、とか、優しくしてあげて、とか言うけれど、どうすればいいのかわかりません。

出来る事は、例えば、好きな音楽聴くとか、好きなアイドルを見てワクワクするとか、それくらいかなぁ。

 

自分に使えるお金も、大してあるわけもなく、欲しい服も、靴も、バッグも買えない。

必要最低限のものしか、買っていません。

 

生きるの辛いなー。

でも、まだ、死ねないしなー。

 

自分を好きになる方法。

どうすればいいのかな?

 

どうしても、わかりません。

バツイチ60歳近い女の、恋愛の難しさ

自慢じゃないが、私は今まで恋愛をした事が無い。

片思いは、たくさんある。

小学校、中学校と、好きになった男子は、いた。高校になると、女子が多かったせいか、なぜか、女子の先輩に恋をした。カッコよかった。ちなみに、体育会系の部活に入っていた為だと思うが。

社会人になって、同じ職場の男性にも片思いをした。でも、告白までには、至らず。

ただ、歳だけをとっていった。

職も、転々として、自分もかなりいい歳になっていた。

周り(親戚、親など)から、いい人いないの?とか、結婚はまだなの?とか、言われ始める。

どうしようか。そんな人がいないのだ。

まさか自分でも、この歳まで、1人も付き合った事が無いなんて予想していなかった。ちょっと付き合った人は、いたけど、想像とは違って、結局別れた。

 

女としてやはり、子供が欲しかった。

それで、とうとう結婚相談所に駆け込み、見合いすることにした。

面接の女性は、年齢でいくと、かなり厳しいとの事。男性は、若い女性を好むらしい。

当たり前だ。

でも、ゼロではないので、頑張りましょうという事で、入会して、お金を払い、色々な方々に会ってきた。

なかなか、決まらなかった。

焦りがでる。契約の期限も迫っていた。

もう、この辺で妥協して、希望のランクも下げ、やっと手ごたえのある人に出逢った。

優しそうで、真面目そうだったので、お付き合いする事になった。

 

何度かデートを重ねて、一年未満で、結婚する事になった。

やっとだった。

かなり、年増の嫁になった。

相手は、年下だった。

結婚してすぐに、子供はできた。嬉しかった。

しかし、年いっての子育ては、体力的にキツかった。

周りのお母さん達より、10歳は上である私は、子供と遊ぶのもかなり大変だった。

でも、自分なりに一生懸命に子供を育てた。

 

夫とは、あまり仲良くできなくなった。

子供が第一になってしまった為だ。

それが、夫には不満だったようだ。

 

夜の生活が、とにかく私には、苦痛でしかなくなっていた。

夫は、一人でするしかなくなっていた。

今、思うと申し訳なかったとは、思う。

そして、夫の心の病気などもあり、ますます関係が、悪くなっていき、とうとう、結婚18年頃だったか、別れる事にした。

その頃は、お互いに喧嘩が多くなり、言い合う事も増えていた。

手を上げられる事こそ無かったが、言葉の暴力が、かなり酷かった。

私が、離婚の準備を密かにしていた頃、早く別れてくれと、毎日のように言ってくる。

私は、順序を考えて、少しでも不利にならないように、本を買って調べたりしていた。

無料の法律相談所にも行った。

 

そして、離婚が決まった。

 

夫も、かなり異常な行動が目立ち始めていた。

もう、限界の時期だった。

借金も抱えていたようで、本当なら私には、関係の無い事だったが、夫の病気の事と、情があったのか、一緒に私が行っていた、無料の相談所に連れて行き、借金の返済について相談した。

なんとか、マンションを売却して、支払うメドがついた。

そうとなったら早かった。

早急に家を出なければならない。

その為、私は娘と住むアパートを必死で探した。

 

夫に娘を渡すつもりは、無かった。

病気が、かなり酷い状態だったし、娘も、父を嫌っていた。

安いアパートを何とか見つけ、夫は、マンションを売って、借金を返済し、残りのお金で中古のマンションを買って、先に出て行った。

夫は、たくさんの自分の不用品などを残し、私に処分を押し付けて、行ってしまった。

 

大量の処分品と、私達の荷物だけが、広い部屋に残された。

 

別れる時は、こんなもんなんだなーと、思った。

寂しさなどの感情は、まったくなく、虚無とは、こんな気持ちなのだろうか。

 

そんな訳で、私と娘は、安アパートに入居した。

広さはあったが、かなり古い建物だった。

けど、仕方ない。探す時間がなさすぎた。

でも、夫の顔も見ないで生活できると思うと、とても気が楽だった。女2人で、楽しく暮らせるのだから。

 

しかし、数日後、夫から手紙が届き、死ぬつもりだと言う。その前に、娘に会いたいと言う。そして、近くのアパートを探し回っているという。前にも、自殺する為、失踪した事もあり、すぐ電話してやめるように伝えた。

恐ろしくなった。やっと、離れたのに、なんでまた。

あんなに、早く出て行け、別れろと言い続けていたのに、今さら、

 

家が、バレルのが怖くて、表札を出すのをやめた。

しばらく、怯えて暮らした。

 

そして、又手紙が届き、元気かと書いてある。

さらに、再婚して、その家族と暮らしているとの事。連れ子がいて、中学生の女の子らしい。

早い再婚に驚いたが、一人で生きていけない人なんだなぁ、とつくづく思った。

 

その後、一切連絡無くなった。

 

ようやく、落ち着いて暮らせるようになるかな?

収入は、私のパート代だけでは、かなり厳しかった。なので、行政を頼り、娘がまだ、18歳未満だったので、ひとり親の子供手当などを、申請して少しでも、生活の足しにした。

夫からも、約束していた、引越しにともなうもの、家具、家電代など8割くらい支払ってもらった。本当は、もう少し出して欲しかった。

 

娘は、無事就職も決まり、給与から、家に5万くらいを入れてくれる事になり、少し助かった。しかし、私が、色々あり、パートも辞めたりなどあって、収入が、安定せず、しばらく、貯金を崩して生活費にあてた。

国民年金も払えない。

私の体調も、万全ではない為、フルタイムの仕事は、無理だった。

月10万あるかどうか。

本当に生活が苦しい。

 

 

そのうち、娘も年頃になって、彼氏ができた。

同じ会社の人だった。

付き合い始めたらもう、毎日のように遅くまで、帰って来ない。まぁ、ラブラブなんだろう。

 

そんな2人のようす、話しを聞いていて、良かったと思う反面、なんだか、少し羨ましくもあった。

 

私は、ひとりでいいと思っていたけれど、なんか、淋しさもあった。

 

再婚は、考えて無いが、男友達ぐらいは、ほしいと思うようになった。

でも、身近にいるわけもなく、アイドルに夢中になっていた。

親子ぐらい年下の子に、恋をしていた。

それでも、幸せだった。

でも、スマホで見るだけなので、直接話せる相手ではなく、やっぱり、現実的に、実際に会って話しをできる人が、ほしくなった。

それで、若い人が使う、アプリのマッチングアプリみたいなのを、検索してみたが、年齢制限があるようで、私の年だと、本当にギリギリか、アウトか、なのだ。

あーあ、簡単には、いかない物だった。

 

ドラマのように、どこかで、出逢えないかなぁ。

いや、ムリムリ。

じゃあ、どうすればいいのか?

この歳になって、淋しくなった。

本当に、お茶飲んで、お話しするくらいで、いいのだけど、出逢う方法がないのだ。

 

このまま、おばあちゃんになって、一生を終えるのかなー。

 

やっぱり、さみしい。

 

私と同じような人いないかな?

もしいたら、どうやって、友達つくるのか、教えてほしいよ。

 

自分で決めて、1人になったけど、今になって、淋しくなったきた。

男は、こりごりだったはずなのに、一人で生きていくほうが、気楽と思っていたはずなのに。

さみしい。

だれか、いませんか?

 

私と、お付き合いしてくれる方。

何年経っても忘れられない過去

前回の続き

 

入学式は、夫と二人で出席できました。

ただ、夫の病気は、すぐ治るものでは、ありませんでした。

 

これからが、長くて辛い時期になりました。

 

夫の行動は、理解ができないものばかりでした。

私の知らないうちに、色々やっていて、普通では、考えられない事をするのです。

例えば、同じアパートの人が出した大型ゴミを、シールも貼って出しているのに勝手に持ってきて、捨ててあったから、いいじゃないか、とか。

いやいや、ダメでしょ。そんな事が、多々あり、しょっちゅうケンカになり、私もとうとう、同じうつ病になりました。

 

親2人とも、うつ病です。

 

娘には、本当に申し訳なかった。

 

ひとまず、夫の失踪事件については、ここまでにします。

 

私にとっては、今だに消えない辛い経験でした。

その後、何年経っても、忘れる事などできなくて、ずっと頭の中にあります。

早く忘れたい。早く、昔の思い出みたいな、そんな事もあったねー、と言えるぐらいになりたいけれど、あまりに辛かったので、無理です。

なので、こうして、書いてみることにしました。

少しでも、浄化できるだろうかと。

 

うつ病は、本当にこわい病気です。

何年もかかります。

私は、今も、薬を飲んでいます。

病院も、毎月通っています。

薬は、気持ちを上げてくれる物、楽しい気分になるように。そして、夜眠れないので、睡眠薬などです。

もう、10年以上経っているので、一度飲まないで寝てみたけれど、1時間ごとに目が覚めていて、寝てないんです。時計を見ると、1時、2時、3時、全部起きて見てるのです。

やはり、睡眠とらないと、翌日、日中に眠気があり、薬を続けています。

 

私は、夫のように死ぬ事は、考えなかったけれど、TVなど楽しいバラエティ見ても、何も面白くないのです。

色々な事の興味が無くなるんですね。

こわい病気なんです。

 

周りの人が、気がついて、余計な励ましはしてはいけないです。見守るしかないのかな?

とにかく、長く続く病気です。

なかなか早く治りません。

夫のその後は、やはり、大変でした。

 

もう、きりないので、これで終わります。

 

読んでくださり、本当にありがとうございます。

 

もし、同じ病気の方近くにいたら、気をつけてあげてください。

では、また。

何年経っても忘れられない過去

※ずっと引きずっていて辛い為、書く事で浄化できるかもと思い、書いてみます。

内容も暗くなる為、そのつもりでお読みください。

 

あまりの出来事だった為、記憶が所々飛んでいて、時系列も前後しているかもしれませんが、今現在も、頭の片隅に必ずあるため、忘れる事ができればと思い、書いて見ることにしました。

 

結婚していた頃の夫の事です。

見合いで結婚したような感じなので、あまり恋愛感情は、なかったかもしれません。夫には悪いけど。

 

夫は、転勤族の為、1〜2年ごとに引越ししました。

とても大変でした。結婚前からわかっていた事なので、それは私も覚悟していました。

子供もできて、4年くらい経った頃だったか。

今の職場の存続が怪しくなっているとの事。

(公務員でした。)

他の職場に異動するか、そのまま最後?まで残るかの選択をする事になりました。

この先の事を考えると、そのまま残るのは、先がないかもしれないという事で、別の職場(斡旋先が、あらかじめ用意されていました)に、移る事にしました。

今関わっている仕事内容に近い事もあり、今までの所を退職し、別の所へ転出しました。

行き先は、かなり遠い所で、行った事のない場所でした。

海を渡り、高速道路をひたすら走り、着いたのは夕方になっていました。

 

仕事柄、人里離れた山奥の山頂近く。

とても、田舎でした。今までも、同じように、畑のある場所が、主だったので、大体イメージしてましたが、けっこうな所でした。

住居は、ありましたが、造りがとても古いというか、寒冷地なのに、寒さに弱い家でした。

春だったけど、寒くて、ストーブも煙突式で、その部屋だけで、他の部屋は、ストーブ無し。

とても耐えられず、その晩は、上・下防寒着のジャンパー、ズボンを着たまま寝ました。

すぐ、各部屋に、電気ストーブを置きました。

台所も、外と同じくらいで、ストーブ無しでは、居られないほど。

虫もたくさん出ました。

とくに、カメムシ。臭くてイライラしました。明かりの近くも飛び回るし、風呂場にもたくさん出て、入る前に必ず退治してから入りました。

子供(娘)は、山を下って下の町の幼稚園に通う事になって、毎日、車で送り迎えしました。

だいたい、3キロくらい下ります。

自然の中なので、のびのびと、子供は毎日楽しく過ごしていました。

同じ職場の方々も、同じ場所にそれぞれ住んでいて、奥さん達とも、仲良くさせていただきました。

娘と1つ下の女の子のいる方がいて、よく一緒に遊んだりしました。

野生の動物もよく近くに来ました。

キジ、キツネ?たまに、日本カモシカも。

山の上なので、冬は寒く、夏は太陽に近いせいか、日差しが強かった。

私達は、冬の寒さに慣れていなくて、何度も水道が凍結してしまい、その度に、職場の方に電気のコードを巻いて溶かしてもらいました。

水道管が、家の中にあるはずが、昔凍結して使用できなくなって、なんと外にむき出しでつけられていた。考えられないけど、仕方ない。

とにかく、水を出しっぱなしにするしかないらしい。

玄関のドアも、よく凍結して、開かなくなる。急いでいる時は、とくに困るので、町まで下りて不凍液を買った。店の人にかなり不思議がられ、どこに使うのかと聞かれた。

町は、下なので暖かいのです。気温が、全然違う。雪もほとんど積もらない。

 

そんな過酷な生活が、1年近くなる頃だった。

 

その前から、夫の不調のサインが出ていたのでしょう。

私は、気づいてあげられなかった。

後で考えると、休日になると、夫は家に黙ってじっとしている事が多かった。会話も、ほとんどなかった。

でも私は、子供もいたので、あまり夫の異変に気づく事がなかった。ただ、いつもTVなども見ず、寝ていたり、黙って座っていたりが多いなと思っていた。

休日、一日は、子供の為に車で、県を超えて大きなショッピングモールへ行き、ゲームセンターや、買い物などをして過ごした。毎週そんな感じでいたが、店にいる間も、夫は、あまり楽そうでなく、疲れているようで、座っている事が多かった。表情も暗い感じだった。

その頃、かなり重くなっていたのだろう。

2月頃、子供の小学校入学もあり、勉強机を買った。日付けを覚えていないのだけど、机が届く予定の日だった。

 

その朝、夫はいつものように、私に仕事に行ってくると言って、出て行った。あさ早い為、私はまだ、布団の中にいた。

行ってらっしゃいと、いつも通りに伝えた。

午後、机の配達が来たが、雪が多くてトラックが雪に埋まってしまった。とりあえず、職場に電話して夫に伝えてもらおうと思った。

しかし、今日は、休んでいるとの事。

あれ?おかしい。出社したはずなのに。

それよりも、トラックをなんとかしないといけないので、職場の方々に来てもらって、車を助けてもらった。

娘の机を運んでもらい、配達は帰った。そしてすぐに、夫が休んでいる事について改めて聞いた。

無断欠勤だった。

とても嫌な予感がした。

 

職場の人達総出で、近くの森を探してもらった。

私は、パニック状態。とりあえず、娘を迎えに行き、すぐ、警察へ電話した。

行方不明である。

町の防災無線でも、呼びかけてもらった。

警察の方が来て、詳しく聞かれ、わかる事全てを話した。何か持ち出した物ないかと聞かれ、家中探すと、電気髭剃りが無かった。仕事に持っていくはずのない物だった。最近の写真を出してくださいと言われ、近くの渓谷で私と二人で撮った写真を渡した。それを手掛かりに捜索するとの事だった。ただ、言われたのは、ほとんどの場合、帰ってこない事が多いとの事だった。自分の意思で出て行った為、失踪でしょうとの事。

 

涙が止まらない。

 

まさか、子供と私を置いて出て行くなんて、信じられなかった。

夜になっても見つからない。

泣きながら、まず、夫の両親へ電話した。とても驚いていた。そして、私に、よろしく頼むと言われた。

次に、私の母に電話した。

もちろん、母も驚き、とりあえず、こっちに来てくれる事になった。

娘になんと言えばいいか。でも、私の様子を見ていて、なんとなく理解しているようだった。

私は、ずっと泣いていた。娘は、お母さん、泣かないで〜、と言っている。

私はとにかく、携帯電話をかけ続けた。呼び出して、すぐ、電話に出られない、という音声に切り替わる。何度も何度も繰り返す。

携帯電話を片時も離さず、ひっきりなしにかけ続けた。

夜が明けた。

職場の方々も心配してくれて、奥さん達が、食べ物を持って届けてくれた。本当にみなさんに心配をかけてしまった。

母は、翌々日くらいに、飛行機と電車を乗り継いで、ひとりで来てくれた。

母が来てくれて、かなり心強かった。

 

警察からその後連絡があり、夫が、隣りの県で、お金を下ろした事がわかった。当面の費用の為だったのか。でも、その後の足取りが分からない。やはり、もう帰って来ないつもりなのだろうか。

せめて、生きているのかどうか心配で、ひたすら、電話をかけ続け、その間、母は、娘の面倒をみてくれた。

本当にありがたかった。

幼稚園では、実は夫が、行方不明になった次の日が、餅つき大会だった。幼稚園も、一度は、中止にするか迷ったらしいけど、やっぱり楽しくやりましょう、との事で、予定通り行ってくれました。こんな時だけど、少しでも、楽しい思い出にしてと、娘と共に参加する事になった。

小さな集落だったし、家族ぐるみで行事をする幼稚園なので、みんな当然知っていた。

お父さん達は、男は一度くらい家出たくなる事あるもんだ、と言って、大丈夫だと声をかけてくれました。

お母さん達も、楽しく過ごしましょうと、私達を受け入れてくれました。

本当にありがたかった。申し訳ない気持ち、いたたまれない気持ちで、いっぱいだった。

 

そして、卒園式の日が来ました。

本当なら、両親揃って出席するはずだったけど、私一人で、服装も考えられず、地味なグレーのパンツスーツにしました。

本当は、喜ぶべき日なのに、私にとっては、辛い日でした。でも、娘の大切な記念日なので、できる限り笑顔をつくっていました。

もちろん、涙は出ます。

式が終わり、再び、先生や、お母さん達に、励まされて、大丈夫、きっと帰って来るよと言ってくれました。

 

もう、何日泣き続けただろう。

涙って枯れる事ないんですね。ずっと、出てくる。

 

その後、電話かけ続けて、ついに、繋がりました。

夫が、やっと出てくれた。今、どこにいるの?大丈夫なの?切られないように、でも話したい事、聞きたい事たくさんあって、話し続けました。

 

夫は、死ぬつもりで、家の近くの森の中を彷徨ったらしい。でも、死にきれず、そのまま、隣りの県へ行き、お金を下ろし、東京に行ったらしい。

そこで、ぼうっと座っていたら、知らない人に声をかけられ、バスに乗せられたとの事。

労働者を探してる人に会ったという事だった。

そして、どこかへ、連れて行かれて、たくさんいる部屋に入れられて、毎日、肉体労働をしているとの事でした。

とにかく、生きていてくれた事が嬉しかった。

そして、早く帰って来てほしいので、私は、できる限りの知恵を絞り出し、夫にそこから逃げるように指示をしました。

持っているお金が、ちゃんとあるか、荷物もあるか、そして、夜、誰にも見つからないようにそこを出るように言って、そして、とにかく、タクシーを拾って乗るように伝えました。たぶん。

私も、はっきり覚えていません。

夫は、わかったよと、とても素直に返事して、翌日だったか、私達の住む近くの電車の駅まで来ることができたらしい。

私は、すぐに支度をして、母に子供を頼み、タクシーで、駅に向かいました。

 

夫がいました。

何日ぶりだろう。かなり、やつれていました。

でも、生きて会えたのが、うれしかった。泣きながら、とりあえず、近くの喫茶店に入り、少し話しました。そして、すぐ連れて帰らなければと思い、駅前から二人でタクシーで、家に帰りました。

夫は、ほとんど話さなかったけれど、辛かったのは、間違いない状態でした。

お金もほとんど使ってなくて、正直ほっとしました。

家に着いて、母も喜んでくれました。

考えると、やや、一ヶ月くらいだったようです。母がとりあえず持ってきた、化粧品など、使い切っていて、私のを使ってもらっていたぐらいなので。

母も、まさかこんなに長くなるとは、思っていなかったと思います。本当にありがとう、お母さん。

 

夫は、心の病気になっていました。

まず、病院を調べて、隣りの県の病院へ行きました。

私も、感情が溢れ出し、先生にひたすら、泣きながら色々と話しました。

 

重いうつ病と、診断され、薬で治療する事になりました。

 

うつ病なんて、知らなかったので、今思うと、夫に逆効果な言葉を浴びせていました。

頑張れ、とか、寝てばかりだねー、とか、TV、新聞見ないの?とか。

言ってはいけない事を言ってしまっていたのです。

本当に、悪い事をしたと思いました。

でも、私は、その病気をよく知らなかったのです。

 

夫の両親にも、今までその都度、電話で連絡とっていました。

お義母さんは、そっちに行きたいけれど、田舎者だから、行き方が分からないので、よろしく頼むとの事でした。

ちょっと何か引っかかる気がしました。

私の母でさえ、一人で来れたのだけど。

自分達の息子が、家族置いて失踪したのだから、一大事なはず。来ようと思えば、人に聞いたり、調べたりして、来る事できたのではないかと思いました。

でも、それは、言わないようにしたけれど。

 

娘の小学校入学が近かったけれど、やっぱり、住み慣れた地元に帰るのがいちばんだと思い、夫の仕事も、病休にしてもらい、みんなで、帰る事になりました。

入学の準備した物、制服、帽子、上靴など、全てお店に取り消せるかお願いしたら、今回事情が事情なので、いいよと言って、お金払わなくていい事にしてくれました。本当に、色々、申し訳なく思っています。

 

帰って住む家も探さないといけない為、弟に色々と頼みました。全部やってくれました。保証人にも、なってくれました。

本当に、無理にお願いして、でも、全部やってくれたので、とても助かったし、ありがたかったです。

そうして、フェリーの予約をしたり、引っ越しの準備をして、バタバタと、そこを出ました。

当日は、みんな見送りに来てくれました。

本当に、お世話になってしまいました。

 

地元に帰ってからも、忙しかった。

娘の入学手続きです。ギリギリだったので、大変でした。

まだ、続きますが、ここまでにします。

次回へ続く。

                                          

仕事の不運が続いてツラい

(前回と内容重複してるところあり)

先日、職場の上司との面談があると言われた。

何かイヤな予感がした。

私何かしただろうか。ミスしただろうか。

 

そして、面談当日。

 

やはり、仕事の事。

今の仕事が続けられなくなるかもしれないという内容だった。

会社の方針が変更になるという。組織など変わり、私は、清掃のため、一応会社の直接雇用だったが、そこが切り離されるとの事。

別の会社になるかもしれない。

働く場所も、仕事内容も変わる可能性がある。

まだ、今は、何もわかっていない。

一応、希望をお聞かせ下さいとの事だった。

もちろん、入社した時、「定年まで働けると思いますよー」と、言われてとても安心していたところだった。

入ったのは、昨年の秋頃だった。

まだ、一年も経たないうちに、もうこれである。

なぜ?急に?

まだ、ミスして叱られるほうがましだった。

改善の余地があるもの。

だけど、仕事が無くなるおそれがあった。

そういう話しだった。

会社としても、なるべく希望に合うところを探しますとの事。

なんでそうなったのだろう。

私は、仕事に見放されているのだ。

 

今まで、転職を繰り返してきたのは、仕事の相性が悪かった為だ。

仕事は良くても、人間関係が悪いとか、人間関係が良くても、仕事内容が向いてなかったとか、、、

今回はどっち?

 

会社都合だった。

私は、何も悪くなかった。

仕事にも不満は無く、人間関係も今までで、一番良く、皆んな優しい方々ばかりだった。

なのに、辞めなければならない。

 

あまりのショックで、その日、帰宅後、自暴自棄とはこのことか、飲めない酒を飲んだ。

ひたすら、飲んだ。

喉がヒリヒリする。

顔も熱くなる。

でも、飲まずにいられなかった。

よく、酒に逃げるという事を聞くが、今の私がそれだと思った。

 

娘が帰宅したが、うろ覚え。

冷蔵庫にあった弁当を食べてもらった。

私は、食欲などまったく無く、そのままうたた寝した。

夜12時近くになっていた。

何か食べたほうがいいなと思い、お湯入れるだけのお粥を食べた。

まったく味がしなかった。

ただ、流し込んだだけ。

 

そして、白い紙にひたすら書いた。

今の心情をぶちまけた。

眠くなり、途中でやめて、スマホで、タロット占いを見ながら、寝落ちした。

 

翌朝、やっぱり夢でなかったんだと自覚する。

今日は、休日の為、毎朝のルーティンをして、

再び、タロット占いを見ながら、このメモを書いている。

 

泣けてくる。

昨日も泣いたけど、、、

この先、どうなるのかと思うと、、、

 

引き寄せができていたはず。

たしかに、欲しい物、チケットなど、手に入った。

仕事は?

 

また、別物なのかな。

どうしても、手に入らない。

もちろん、お金もだ。

なんか、汚いけど、やっぱりお金欲しいよ。

お金で買えない物があるとはいうけれど、

お金、大事だよー。

お金ないと何も買えないもの。

支払いなど請求きても払えないもの。

やっぱりお金必要だよ。

その為には、仕事だよ。

仕事しないと、お金もらえないもの。

働く気は、とてもあるのに、仕事がどんどん逃げてゆく。

 

なぜ、私を働かせてくれないの?

サボってやろうなんて一度も思った事ないよ。

新しい仕事に就いたら、必死で覚えて、とにかく真面目に働くよ。

文句も言わずにね。

 

こんな都合のいい人間、なかなかいないよ?

今まで、色々な人たち見てきたけど、みんな結構サボったり、文句言ったりしてたよ?

私は、理不尽な事あっても、とりあえず言われた通りに仕事してきたつもりだよ?

でも、長く勤められない。

仕事選びが、下手なんだね。きっと。

もっと、自分に合う仕事を見つければいいんだよね。

それが、一番難しいよ。

 

会社って、入ってみないとわからないものなのでね。

求人票信用するしか無いのだよ。

あーあ、来週からどんなモチベーションで

働けばいいのだろう。

明らかに、将来が見えなくなった今、いつものように、皆んなに挨拶できるかな?

これまでは、心からみなさんに気持ち良く、トイレなど使ってもらう為にと、頑張ったけど。

会社の顔となる入り口や、エレベーターも、きれいにしてたけど。

気持ちが、変わってしまいそう。

なんか、見てなければ、適当にしてしまいそう。やる気がとにかく、出ないと思う。

 

どうしようか、月曜日。

 

いや、私もいい大人なんだから、いつも通り頑張るか。でも、でも、、、、

私ばかりでなく、他の清掃の方達も同じらしい。

みんな、どうするのかな?

別のところに行くのかな?

残るのかな?

 

月曜日、こわい。

いつもなら、今週も頑張ろう!!と、思って行くのだけれど、今度の月曜日は、違う。

顔に出てしまうかもしれないなー。なるべく明るくしよう。

そして、今までみたく、あまり真面目には、しないかな?ちょっと手を抜くかな。

 

期限が決まっているのだもの。

一生懸命にやる意味がないよ。

せいぜい、ある程度にしておくよ。

ごめんね、🙏みなさん。

会社で働いているみなさんが悪いわけではないです。でも、少し雑になっていくと思います。

本当にごめんなさい。

許してください。

 

とりあえず、今の私の気持ち、こんな感じです。

良い方向に行けば嬉しいけど、この世の中、まずそれは、あり得ないと思ってる。

今までの長い人生で、そうだったので。

ある程度、決まった時は、よく考えて決めさせていただきます。

 

それにしても、大きな会社だからって、安心できるものでないんだなぁ、と、驚きましたよ。

会社の規模は、関係無いね。

これからは、もっとよく、中身を見て仕事を探すことにする。

(今回、とくに会社名を意識した訳ではない。たまたま、大会社だっただけ)

 

さあ、気持ち強くもっていこう!!

私は、まだ働かなければならないのだから。

 

 

今回も、つまらない話しになり、すみません。

どうしても書きたくなって、書きました。

読んでくださりありがとうございます。😭

私の人生の転機は、大体5 6月 なぜ?

なぜなんだろう?

今までの人生で、大きな転機が訪れるのが、5月6月くらいに、集中している。

独身時代、実家を出て一人暮らしを始めたのがたしか、5月。

実家にいるのが嫌になって自分ひとりで家を探し、親に相談もせず、家を出た。

ただ、かなり年齢がいってからの一人暮らしであった。

一般的には、20歳前後くらいで家を出るのだろうが、私の場合、25を過ぎる頃だった。

かなり遅いと思う。でも、家に居たくなくなり、1人になりたかった。

何か変わるかもという期待もあった。

でも、何も変わらなかった。

恋人ができるかもと思ったが、それもなし。

結局途中で、仕事辞める事になり、家賃も払うのが大変になり、再び実家に戻る事となった。

ちょっとカッコ悪いパターンだった。

まぁ、色々な経験はできたので、少しは勉強になったのかな。

次は、結婚。

入籍は、3月だったけど、披露宴は、5月だった。

本人同士は、派手な事はしたくなかったが、親や、親戚の為、何もしないわけにはいかないなと思って、普通にホテルで結婚式をした。

会社の人や、友人、親戚などに出席してもらった。

 

その数年後、まあ、離婚してしまったけれど。

 

その離婚も、正式には、5月だった。

家族で住んでいたマンションを出て、娘と二人で暮らす家に入居したのが、6月だった。

 

その後、私のパートも何度か変わり、新しく挑戦した未経験の仕事を始めたけれど、自分には、無理だったようで、体調を崩し退職する事になったのが、5月。有給もあったので、6月付けの退職だった。

無職では、生活できないので、必死に次の仕事を探した。

だいぶ時間かかったが、秋頃に今の仕事が決まった。

今までやってきた、清掃の仕事だった。

今度こそ長く働けると思っていた。

その矢先、急に会社の上司と面談があるとの事。

何かイヤな予感がした。

私、何かしただろうか?ミスしたかな。会社に迷惑かけたかな?そんな悪い事ばかり考えて、落ち着かなかった。

そして、今日、話し合いがあった。

予想ほぼ的中。

会社の組織などの変更により、今まで通りの雇用ができなくなりそうとの事。

期日は、5月末迄。

またもや、5月である。

何でだろう。

どうしてだろう。

私にとっての5月は、いったい何?

何かに取り憑かれているのか?

とりあえず、私のミスなどではなくてよかったが、大きく生活が変わるかもしれない。

収入がさらに減るか、逆に労働日数が増えて、体がキツくなるか。

今のところ、会社側もわかりませんとの事だった。

 

私の仕事運の無さには、呆れるばかりだ。

仕事の選び方が悪いのだろうか。

ハローワークで探すのが間違いなのか?

求人誌のほうが、信頼できるのか?

ハローワークって、もっと信頼できると思っていたが、違ったのかなー。

知人も、ハローワークは、いい求人無いと言っていた。

もし、今の会社の仕事の条件が無理だったら、辞めるしかない。

今度は、求人誌を頼ってみるか。

どっちにしても、もう少しで、60歳になる。

働ける会社あるの?

今いた所は、70歳位まで働けますよと、入社の時に言われてとてもうれしかった。なのに、ダメになったじゃん。

私どーすんの?これから。

家賃とか、生活費とか、どーすんの?

大企業に入れて、浮かれていたのに夢となってしまうのか。

なんか、ツラい。

私、真面目にやってきたよ。

今まで、長い人生、ずっと真面目に、他人から何を言われても、はらを立てず、そのままはいと、聞き、私が悪くなくても、素直に謝り、なんとか、争う事を避けて生きてきた。

ほかの人達は、すぐ不機嫌になって怒ったり、怒鳴ったりしていた。

私は、絶対にそんな事をしてこなかった。

本当に真面目に生きてきた。

それでも、こんな事になっていく。

どうすればいい?

神頼み?

近所の神社には、時々、参拝していた。

天使さまにも、お願い事をしてきた。

もちろん、叶ったこともあったよ。

でも、仕事の事だけは、うまくいかない。

結構大事なんだけど。

お金に執着するのは、いけないと思うけど、やっぱり、お金でしょ。

お金ないと、生活できないよね。

家賃、食費、水道光熱費、通信費、etc

お金ないと、生きていけないよ。

娘から、もっと出してもらう?

いやいや、娘もまだ社会人になってそんなに経ってないから、収入もそれほどない。それを、もっと出してとは、言えない。

娘も自分の欲しい物、自分で買いたい年頃なのだから。

私も、同じ年頃の時は、色々と買うのが楽しかった。

その幸せを奪うわけには、いかない。

 

そもそも、母子家庭にしてしまったのが、大きな誤算だった。

本当なら、夫のいる3人家族だった。

夫の収入があれば、今まで通り、マンションにも住めたし、お金に困る事もなかった。

ただ、夫の病気もあり、色々あって別れるしか方法がなかった。

 

生活のレベルは、ぐんと下がった。

これから、どうしよう。

とにかく、安定した収入がないと、不安でしょうがない。

私が、もっと丈夫で、フルタイム働く事ができるのなら良かったのに。

この体では、無理なのだ。

だから、今の会社が、ちょうどよかったのに。

もう、諦めてフルタイムにしてみようか?

はたして、やっていけるのか。

まあ、働いてみないとわからない。

もしかしたら、働けるかもしれない。

ただ、自分の時間、ゆとりが、かなり減るだろう。

 

本当は、もう少し、趣味の時間を持つはずだった。

ハングルに興味があり、テキストも買っている。最初の2か月位で、止まってしまったが、、、

いつか再び勉強しようと思っていたが、週5の労働となると、2日休みは、家事、主に洗濯などで、つぶれてあとは、ゆっくり寝るとかになると思う。

とても、趣味に費やす時間などできるはずがない。

 

まさか、60歳で、フルタイムになるなんて、夢にも思ってなかった。

事務系なら、体が少しは楽だろうけど、スキルも無ければ、目も老眼の為、パソコン見るのも難しくなっている。

できる仕事は、体力仕事だけだ。

 

やってみるか?

ダメもとで。

もしかしたら、できるかもしれないし。

はたして、60歳で、雇ってくれる会社があるかどうかだけど。

自分の体にきいてみて、決断するしかないのだね。

正直、つらいなー。

ゆとりの生活したかったなー。

 

今の会社入れた時は、明るい光が先に見えたけど、今、また、真っ暗になりました。

 

(次回に続く予定)

メイクは楽しい❤️

※最近重い内容の話しばかりしてたので、今回少し明るい話しにします。ブログ始めたばかりで慣れてなくてごめんなさい。🙇‍♀️

 

マスク生活が続き、仕事や用事で外へ出る日は、せめて目元だけでも何かしておこうと思い、いつも、眉毛だけは描いていた。

アイメイクは、ちょっと面倒で、アイラインもしてなかった。

ある日出先で鏡を見たら、何だか目がパッとしてない。

メガネのせいか、よけい小さく見える。

でも、まぁいいやと思っていた。

毎朝、娘のメイクを見ていて、目はパッチリ、アイラインもくっきり、まつ毛はパーマでクリンクリン。すっぴんとは、別人になっている。

あー、メイクでこんなに変わるんだなーと思った。

ある日、YouTubeで、中高年向けのメイク動画をやっていた。とても詳しくて、わかりやすかった。モデルさんがどんどん変わっていくのが見事だった。

私もやってみるか?と思うようになった。

眉毛は、明るめの色で、眉マスカラなる物で、仕上げる。初めての化粧品だった。

目は、アイラインは、インラインを入れる。

結構目の際なのでこわかったが、慣れるとできるようになった。

少し目がハッキリしてきた。

アイシャドウは、あまりラメ入ってない物がいいらしい。キラキラしてると余計にしわ、たるみが目立つとの事。

手持ちのは、ラメ入りなので少なめに薄く付けた。

そして、まつ毛である。

まず、ビューラーで、まつ毛を上へ上げる。

瞼を挟んでしまいそうで、上手くいかない。

慎重にやってやっと上がった。

次に、いよいよマスカラだ。

昔のマスカラは、つけてもすぐに下がってしまう。それで、ネットで調べて、強力に上がるマスカラを手に入れた。

若い人向けだろうな。

さっそく、塗ってみる。

いゃ〜凄い。いやらしいくらいにバッチリ上がった!

どこのけばいおばちゃんかと思うほどの、パッチリおめめになった。

すげ〜、。

とりあえず、それで一日外出してきた。

夕方、帰宅して鏡を見ると、なんと、まつ毛がまだ上がっているではないか!

びっくりだ‼️

すごい。こんなマスカラ、初めて〜。❤️

娘に報告すると、今は当たり前との事。

昔とは違うんだなー。どんどん良くなっているんだなー。

眉毛、まつは、だいたいこんなもんだ。

アイシャドウは、ラメじゃない物で。

あとは、目の下のたるみ。

どうする?隠せない。

コンシーラーなどやってもダメだ。だる〜んとしている。

歳のせいだ。

何とかいい、ハリのでる物探さないと。

シミは、諦めている。

ありすぎて。

しわは、思ったほど気にならないなー。目尻とか、口のまわり。

あと、毛穴だ。鼻のあたりがボツボツだ。

ファンデーションでも、隠れない。目立つなー。まぁ、いいや。

チークも、若い頃のやつ。ふわっとやって、

リップは、いいのは、持ってない。娘からもらったのを使っている。

マスクで、取れてしまう。

私は、汗かきなので、すぐテカる、ヨレる。

若い頃からの悩みだ。

年いけば、少し乾燥して良くなるかと思ったけど、ほとんど変わらない。

男に生まれればよかった。

こんなに化粧しなくてもいいよね。

今は、男の人もメイクする時代だけどさ。

女ってめんどくさい。

きれいになるのは、楽しいけれど、とっても時間がかかります。

でも、少しずつマスク取る日がそろそろ来そうなので、今からもっと練習しなくては。

少しでも、まともな歳に見えるように頑張りまーす。❤️

鏡さん、ワタシをきれいに映してねー。

よろしく‼️

 

こんなブログしか、まだ書けないです。

本当にすみません。

読んでくださりありがとうございます😭