なぜか、私の苦手な人が、、、

今まで生きてきて、やはり、苦手なタイプというか、そういう人は、何人かいました。

 

物心ついてからの記憶ですが。

例えば、社会人になって、結婚して、まず、夫の事が、あまり好きになれなかった。

案の定、夫は、心の病気を持っていて、一度発病した時は、まだよかったけど、再度ひどくなっていき、もう人として、やばい感じになっていて、でも、私も見捨てる事はできず、できる限り治ってもらいたくて、病院に連れて行ったりしたけれど、もうすでに医者も呆れるほどになり、別の専門病院を紹介され、本人を説得して連れて行き、何度か診察してもらいました。

本当なら、入院する必要あるほど、ひどい状態だったけど、病棟が満室で、通院治療する事に。

毎回、私は、パートを休み、一緒に付き添った。しかし、もらった薬もろくに飲まず、治るわけもなく。

 

やがて、借金もわかり、数百万になっていて。

 

でも、私も情というか、見捨てられず、自分が、離婚の相談をした、無料の弁護士さんの所へ連れて行き、なんとか返す方法を教えてもらい、結局、住んでいたマンションを売り、そのお金で、返済することになった。

 

つまり、私たちは、家を失った。

 

夫は、もうすでに離婚していた為、さっさと自分の中古マンションを買い、先に出て行った。

 

私と娘は、残され、自力で安アパートを探し、そこへ引っ越した。

 

そのあたりの記憶は、あいまいです。

色々ありすぎて。

 

その後、夫から、手紙を何度かもらったけど、まあ、内容としては、最初は、再婚したと、

その次は、自分の視力が弱視となり、車の運転ができなくなって、仕事も辞めたと。

その後、再婚した相手とも別れて、ひとりになって、寂しいと。

娘に会いたいらしい。

 

私は、二度と会いたくなかったので、絶対に住所は教えなかった。

近くに住んでいるのは、知人から聞いていたので、毎日怖かった。

 

夫との縁は、これで終わりにした。

 

 

その後、私のパート先の病院の清掃、そこに、ちょっとクセの強い人が多くて。

女性の多い職場だから、仕方ないけど、ウワサ話の好きな人がいて。

私は、苦手だった。

 

なるべく、会話しないようにしていたが、どうしても話しかけてくる。

悪い人では、ないと思うが、苦手なタイプだった。

 

しばらくして、その人が、休みがちになり、後日、目の病気、網膜剥離になり、仕事を辞めた。

 

そして、コロナが、流行してきて、病院も、次々、出て、ついに、私の担当のフロアでも、コロナ患者が出て、仕事の途中で、リーダーが来て、今すぐに、撤収して、このフロアから出てと言われた。

 

とても怖かった。

 

まだ、どんな正体かもわからない頃だった。

ワクチンも無い。

もし、感染したら、同居の娘にうつしたらと思ったら、恐ろしくなり、数日後、退職届を出した。

 

無職になった。

 

すぐに、ハローワークに行き、次のパートを探し、少し時給の高い、ベッドメイクを選んだ。

 

しかし、思った以上に大変で、体力的にもきつかった。

 

そして、そこにも、苦手なタイプがいた。

何かしら、私のやる事なす事が、気に入らないらしく、キツイ言葉を浴びせる。

他の人がいても関係なく、あんた、何やってんの!何トロトロしてんの!とか。みんな、そんな事言わなくても。と、かばってくれたけど。

私は、メンタル強いから、ごめんなさいと、謝った。

 

その時、かばってくれた人が、あんな人の言う事、気にしなくていい。

あんな人は、幸せになれないよ!と言ってくれた。優しい言葉と、気持ちがありがたかった。

正直、辛くて泣きたくなった。キツイ言葉に、かなり傷ついた。

それ以降、なるべく、その人には、近づかないようにしていた。だけど、私のメイクが遅くて、手伝いに来ては、色々言われた。

まだ、やってないの!とか、これじゃ、やり直しだよ!とか。

すみませんと、謝りながら仕事した。

ありがとうございますと、お礼も言った。

 

本当に、一緒に仕事するのが、辛かった、

でも、私も、変に根性があり、自分から、辞める事は、考えなかった。

毎日、いかに早くきれいに仕上げられるか、そればかり考えた。

時間があれば、誰かを手伝い、シャンプーなどの詰め替えも、なるべく手伝った。

足手纏いだったと思うが、少しでも力になりたいと思っていた。

 

その後、その苦手な方が、辞めると聞いた。

理由は、わからなかった。

私に、優しくしてくれた、フィリピン人の方は、良かったと言ってくれた。あんな人、ダメダヨ。幸せにならないよ。と言って、仲良くしてくれた。嬉しかった。

 

しかし、人手不足になり、慣れない人は辞めていき、次々に、別のホテルから、ベテランが入ってきて、私の他はみんな経験者になった。

そして、上の方から、ついに話があり、慣れた方に比べたら、時間がかかり過ぎていて、会社としても、このままの条件では、働いてもらうのは、きびしいと。週2日でどうか?と言われ、それでは、生活できない為、退職した。

当たり前だ。

他の人が、8.9室できるのに、私は、どんなに頑張っても、6室がやっと。

やはり、初心者には、無理な仕事だった。

 

また、無職。

 

ハローワークへ行き、条件の合う所にして、いやに厳しい、書類選考、面接を経て、決まった。

ろくに会社名も、見ず、決めたら結構な大手企業の、清掃だった。

 

しかし、週3日のフルタイム。

どうやっても、月、8万くらい。

それでも、なんとか、貯金や、娘からの家賃分などもらい生活していたが、、

冬の光熱費で、アウト。

 

赤字だ。

 

考えた末、もう一つ仕事を掛け持つ事にした。

いわゆる、Wワーク。

週5日働く。

同じ清掃。早朝から、昼まで。

今回は、ハローワークでなく、求人誌で、探した。

時給が良かった。

清掃なので、ある程度わかっていた。

すぐに、採用。

 

そして、ここにも、苦手なタイプがいた。

 

私を含めて3人は、まだ新人。もう1人が、ベテランで、5年くらいいるらしい。

 

その方以外は、入っても、すぐ辞めていくとの事。ベテランの方が、とても細かく、うるさく言ってくるとの事。

 

幸い、私のシフトでは、かぶっていなくて、会うことがなかったが、しばらくして、週一度一緒になる事になった。

他の2人から、とにかく、色々言われるから、そのつもりで、と言われた。

とても、緊張した。

 

当日、行くと、もうすでに、用意が終わっていて、私の分も準備してあった。

一体何時に来ているのか?

私も、始発の列車で、6時半位に着くようにしてるが、その時間には、もう、仕事始めている。

どうやって来ているの???

 

すごいなぁ。

 

何を言われるか、かまえていた。

 

1日、ちょこちょこ、私の仕事を見て、アドバイスしてくる。

 

私は、ある程度、経験ある為、わかっている事も多かった。

でも、はいわかりました。と、聞いていた。

 

その日の仕事が終わった。

 

事務所に戻ったら、メモの置き手紙。

 

お先に帰ります。

 

それだけ?

初めての日に、他の2人は、探して、ひと声かけてくれた。先に帰るけど、大丈夫かい?

私も、何か、ひとことあると思っていて、

例えば、来週もよろしくとか、もう少し、こうしたらいいよ、とか。

 

そんな感じ?

メモだけ。

 

肩すかし?みたいな。

 

そして、何度か、同じ感じで、一緒に帰る事もなく。別に、一緒に帰りたいわけじゃないけど。

 

ある日、ベテランさんと一緒の日、社長の奥さん来ていて、今日、休みだから。と。

冬道で、転び、手を着いて、ひび入って、しばらく休みですとのこと。

全治三週間と言っていたけど、雑巾絞ったり、モップ絞ったりが、無理だから、しばらく休みだろうと。

 

また、苦手な人が、いなくなった。

 

私、何もしてないよ。

呪いの呪文してないよ。

 

どうして、こうなるのかな?

 

何か申し訳ないけど、たまたまなのか。

見えない方々に、守られたのか。

不思議だけど、会わないから、少し気が楽だ。

 

こんな体験した事、みなさんはありますか?