離婚後の生活苦

※今回は、読まれる前に注意です。重たい話し嫌な方は、見ないでください。内容がちょっとヘビーなので。

 

夫は、精神の病気を持っている人だった。

結婚する時は、まったく知らなかった。

恋愛して結婚したわけでなく、私の心の焦りから、当時大手の結婚相談所を頼って出逢った人だった。

最初いい人だと思っていた。

私の年齢が、もう結構な歳になっていて、女として生まれたからには、一度結婚して、できれば、子供もほしいと思った。

若い頃は、もっと普通に恋をして、恋人ができいずれ結婚すると思っていたが、そんなに甘くなかった。

周りに男性がいないわけではなかったが、思いを伝えようとしてもできず、片想いで実る事は一度もなかった。

私の何が悪かったのか、今も分からないまま。

容姿が特に悪いわけでもないと思っている。性格も、悪くないと思っている。

でも、恋愛できなかった。

子供を出産できるタイムリミットが、迫っていた。

ついに、お見合いする方法を選んだ。

数人の方々と会った。

その度に、向こうから断られたり、私から断ったりの繰り返しだった。

しかし、かなり焦りはじめ、希望のランクを下げ、見た目も目をつぶって、いい人であれば、私を選んでくれるならと思い、最終的に決める事にした。

実際お会いして、印象は悪くなかった。

けっして、背が高くてハンサムとは、ほど遠かったが、人は見た目でなく中身だと思い付き合う事になった。

少し遠くに住んでいた方だったので、週末のみの、やや遠距離恋愛?みたいな感じだった。

何度か会ってから、深い付き合いとなり、土曜に来てホテルに泊まり、日曜に帰るという交際がしばらく続いた。

車で来てもらう為、ガソリン代もかかっていて、ホテル代もあり、私も少しは出していた。

でも、向こうはお金を出すのが厳しいようで、なるべく早く結婚した方がが、お金がかからないという事で、一年そこそこで結婚する事となった。

私は、初めての男性だった事もあり、あまりよく見えてなかったらしい。また、年齢の事もあり、このひとを逃すと、もう次は無いかもしれないという焦りが、なくはなかった。

一緒に生活するようになって、見えてきた事がたくさんあった。

私に対してのキツい事も言われる事があった。

女としてショックな事とか。だから、気をつけるようにしていた。

彼は、とても神経質な人で、寝る時など音が気になると寝られないらしく、いつも耳栓をしていた。私のいびきがひどいとの事。耳鼻科で診てもらえと言われ、受診したが特に異常はなかった。

新婚という事で、彼の実家から、ダブルの布団をもらった為、一枚の布団で寝ていた。

朝になると、私に掛け布団は無かった。夫が全部自分に掛けていた。

私のいびきも言われたが、夫は、歯ぎしりがひどく、いびきも多少あった。

でも、言えなかった。

子供は、すぐにできた。

正直、本当に嬉しかった。

子はかすがいというけれど、本当にそうだった。川の字になって、親子3人で寝ていた。

子供の寝ている所での夫婦生活には、私はとても抵抗があった。声を出さないように我慢して応じていたが、辛かった。

夫は、夜より朝に求めてくる。私はまだ寝ているのに、気がつくと上にいた。

もう少し寝ていたい時間が、その為に奪われていた。

夫は、自己満足のタイプだった。私への思いやりなど無かった。自分さえよければ、満足し、途中でダメな時は、私のせいにされ、とても機嫌が悪くなった。私は、この生活がずっと続くのかと思うと悲しかった。

私は、夫より子供が一番になっていた。

子供も大きくなるにつれ、途中で起きてもし見られたらと思うと、そういう事もしたくなくなり、ずっと拒否し続けた。

その頃からだったのだろう。離婚の時に、夫から言われたが、私が相手をしなくなり、夫は風俗に通うようになっていたらしい。

私は、まったく気づかなかった。

私がもう少し男というものを知っていれば、夫を満足させる方法は他にあったのかもしれないが、初めての男だった為何も分からなかった。

以前夫には、結婚したら、そのくらい自分で調べておくべきだろ、と言われた。知らない私が悪かったようだ。

本当に世の中の夫婦はそうなのか?

妻はもっと男を知っておかなければいけないのか。私が勉強不足だったのか。

夫の病気が発症し、仕事に行けなくなった。休職する事になった。

毎日、家に夫がいる。

外出もするが、私の息抜きする時間がなくなった。

やがて夫は、私に働けと言うようになった。家にいても何もしてないのだから、だったら外に出て仕事しろと言った。俺の職場の奥さん達もみんな仕事しているんだぞ、と言った。

私は、結婚後社会から離れていた時間が長かったので、外で働く事にかなり自信が無かった。

でも、夫に無理やりハローワークに連れて行かれて、仕事をする事になった。

清掃パートで、週6日、短時間だったが、体は慣れるまでキツかった。

私のいない間、今思うと夫は、風俗へ通っていたようだ。

その後夫は、仕事に復帰したが、長くは続かず、再び休む期間が続いた。心の病気なので、仕方なかった。

生活費は、いつの間にか私のパート代でやっていく事になっていた。夫は、足りない時だけ少しづつくれる。

夫は、公務員?だったので、しっかりボーナスは出ていたが、今思えば、一度も子供や私には何も無かった。一般的な夫婦は、夫はボーナスが出た時くらい何か、食事に行くとか、子供に何か買ってくれるとかあるのかと思った。

当時の私には、そんな事考える余裕も無く、私の誕生日にケーキでも買って食べたらと言って、千円くれた。いつも、そのくらいだった。

さすがに、子供の誕生日は、それらしい物をプレゼントしたが。

色々ありすぎて、はっきり覚えてないが、結婚18年の頃、離婚した。

その前から夫の様子がかなりおかしくなっていて、病気だったから仕方ないが、夜中にパソコンで毎日のようにネットショッピングしていて、大量の段ボールが、毎日のように家に届くようになった。自分で買っておいてその段ボールを開ける事も無く、家の中は段ボールで埋め尽くされた。

程なくして、クレジット会社から電話が毎日のようにかかってきた。5社くらいあったと思う。

怖かった。

夫の不在の時に、悪いとは思ったがカバンなどの中を調べた。風俗店の名刺やら、女の子の手紙など大量に出てきた。手紙の内容は、想像通りの物。❤️マークだらけだ。クレジット会社の請求書も大量にある。ざっと計算したが、数百万にもなっていた。

目の前が、真っ暗になった。

子供は、高校生、就職を決める大事な時期だった。親のこんなトラブルで迷惑かけられない。

とりあえず、夫の病気これ以上悪くならないように、私のかかっている精神科に連れて行った。実は、私も、夫と同じ頃、鬱病になっていた。

連れて行ったが、先生との会話すらまともにできない状態。手に負えないようで、別の病院を紹介してもらった。入院できる病院だった。

後日、その病院へ行った。

担当の先生は、すぐにでも入院した方がいいところだが、病棟に空きが無くしばらく、通院になった。

連れて歩くのがとにかく大変だった。

どう見ても、変人だから。服装、しゃべり方。列車の中でも、大声で話す。周りなど見えてない。派手な服で、腕時計は2つ付けて。

正直私は、夫をなるべく人目につかないように、隠すようにしていた。恥ずかしい気持ちでいっぱいだったが、自分の夫なので仕方ない。

ここまでひどくなるまで気づかなかった私も悪かった。

借金については、無料の弁護士相談所に行った。

実は、離婚の事で、私が相談した所だった。

何とか、返済する方法を教えてもらい、結局今住んでいるマンションを売って、そのお金で借金を返すという事になった。

並行して、離婚の手続きも進めて、子供は私が引き取る為、私達の家も、大急ぎで探した。

夫には、家は知られたくなかったの、隠しながら探した。

夫も、色々隠し事あり、私物の為に、レンタル物置きを借りていて、その支払いも私にしろと言われた。もう夫にお金は無いから。私は、夫にかかった費用全て、後日、マンション売ったお金で返してもらう為、請求書を保管した。

一時的に私が払う為、私の貯蓄はかなり減った。夫は、平気な顔して、使った分のお金を要求した。

私は、一日も早くここから出たかった。夫から離れたかった。しかし、病人だと思うと見捨てることが出来なかった。最後まで(別れるまで)できる限りしてあげないとと思った。

夫の実家にも連絡したが、両親は、遠くてなかなか行けないような事を言っていた。でも、一度だけ様子を見に来た。難しい距離でない、列車乗り換え無しで来れるのに。

来たけど、ただ話ししただけ。病院にも一緒に行った。義母は、泣いていた。それ以上のことはなく、3日ほどで帰った。

親なら、一度連れて帰るとか、ないのかな?自分の息子だよ。何か腑に落ちなかった。

その後、私達の引っ越しよりも先に夫は、マンションを見つけたらしく、売ったお金で買ってさっさと出て行った。

私物をどっさり残し、ここのマンションの物置きもそのままで、後の処分は私がやれと言って、全部丸投げしていった。

私は、引き取り業者を探し、処分してもらった。全て私がやった。

今思っても、どんな手順でやったかも思い出せない。記憶に残ってない。きっと、あまりの事で、思い出したくないのだろう。

夫が出て行った後には、私達の荷物だけ残った。部屋がとても広く見えた。

心配してくれていた、私の両親が来てくれていた。4人で、引っ越し業者を待った。それは、とても悲しい時間だった。

新居は、娘の通学も考えて学校の近くにした。

広さはあったが、古いボロアパートだった。

ここから、新しく母娘ふたりの生活が始まった。

夫から逃れて正直、ほっとした。もう、面倒みる必要もないから。あとは、病院行こうが、どうしようが、もう関係ない。私のしてあげれる事は、全部やったのだから。

約束通り、引っ越しにかかった費用、家電などの代金を請求し、支払ってもらった。けっして満足いく金額ではなかったが、もうこれ以上モメるのも嫌だったので、その条件で終わりにした。

後日、夫から手紙が届き、会いたくて私達の家を一軒一軒探し回っているという。

怖すぎる。もう嫌だ。

アパートの表札は、出さないようにした。私と夫の共通の知人から、近くのマンションにいるらしいと聞き、しばらく怯えながらの生活だった。

その後も、手紙が届き、今度は、死ぬつもりだと言う。過去にも、死ぬ為に失踪した事があり、仕方なく電話かけて、死ぬのはやめるように言った。手紙は、1年間は、元の住所で転送される為、しばらく続いた。

ひと月もしないうちに、再婚したと書いてきた。相手も、再婚で、中学生の女の子がいるとの事。ふーん、一人でいられない人なんだなぁと思った。

私達は、生活の為、必死で生きていた。

娘は、無事希望した会社に採用され、ほっとした。

娘には、なんと詫びていいか分からない。こんな親をもって、可哀想な事をしたと思っている。

その後、私も、色々あり、仕事を何度か変わり、今の仕事に落ち着いたところだ。前の仕事で体を壊し、無理できない為、日数の少ない楽な仕事にした。当然、収入は、かなり減った。

ますます、生活は苦しくなった。

悔しいのは、私がもっと健康で、身体もどこも痛くなければ、もう少し長時間働けるのに。

悪い所ばかりで、毎日薬も欠かせない。リハビリも、毎週行っている。

今の仕事が、ギリギリ私のできる範囲の仕事だった。

何年かかるか分からないが、少しづつ毎月貯金している。それで、今の私の減り続ける財産を元に戻すつもりだ。

ある程度したら、娘も独立するだろうから、そうしたら、すぐもっと安い所に引っ越すつもり。それまで、なんとか頑張る!

 

こうなったのは、すべて、私が結婚を急ぎすぎたせいだ。

もっとよく考えればよかった。

結婚するのが、当たり前と思っていたのが間違いだった。

1人でも生きていけるはず。

もし、戻れるなら、結婚前に戻りたい。

おひとり様を選びたい。